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今井夏帆が魅せる2000年代ギャル ハードボイルド化した彼女たち

※2019年12月6日にWebメディア「KAI-YOU.net」にて配信された記事です

女性における日本特異の文化として、時代の流行とも絡みながら平成の30年間に独自の変遷をたどってきた「ギャル」。

振り返れば常にギャルがいた平成から令和を迎え、その元年が終わろうとするいま。2020年という新たな10年間を前に、1990年代/2000年代/2010年代と時代を彩ってきたギャルを、写真とテキストで振り返る。

文:速水健朗 モデル:今井夏帆 撮影:宇佐美亮 スタイリスト:細谷文乃 編集:恩田雄多

書き手は『ケータイ小説的。』(2008年)で、浜崎あゆみさんらギャル文化の象徴とケータイ小説との密接な関係に切り込んだライター・速水健朗さん。

モデルは、ギャル女優として活躍するセクシー女優のAIKAさんと今井夏帆さん。ギャル文化をリアルタイムで経験してきた2人が、各年代のJKギャルを演じる。

前回1990年代に続く第2回目は、今井夏帆さんが2000年代のギャルを表現。浜崎あゆみさんやケータイ小説、闇(病み)と“盛り”など、当時を解説する速水さんの文章とともに、ギャル文化の記憶をたどっていきたい。

AIKAが表現する90年代 電子部族化したギャルが現れるまで

AIKAが表現する90年代 電子部族化したギャルが現れるまで

※2019年11月29日にWebメディア「KAI-YOU.net」にて配信された記事です

女性における日本特異の文化として、時代の流行とも絡みながら平成の30年間に独自の変遷をたどってきた「ギャル」。

振り返れば常にギャルがいた平成から令和を迎え、その元年が終わろうとするいま。2020年という新たな10年間を前に、1990年代/2000年代/2010年代と時代を彩ってきたギャルを、写真とテキストで振り返る。

浜崎あゆみプロデュース携帯で幕を開ける2000年代

WILLCOM同士なら電話代無料。彼氏とともに色違いのWILLCOM「HONEY BEE」を持っていた人も多いのでは?

高校生が当たり前に携帯電話を持つ時代は、2000年頃に始まっている。この年にサービスを開始したauがいち早く学割をスタート。親がどのタイミングで子供にケータイを持たせるか。高校入学時というのがこの頃に定着した(現在の35歳前後)。

まだまだガラケー時代ではあるものの、カメラ付き携帯の登場(シャープ製のJフォン向け携帯端末J-SH04)も2000年。現在の通信メディアのインフラの基本はこの頃に整ったと言える。

当時のギャルを象徴する浜崎あゆみがプロデュースした豹柄の携帯端末が発売されたのが2000年12月のこと。これは、日本のケータイ・メディア史の隠れた転機だったのではないか。

浜崎あゆみ / SURREAL

あの当時のギャルたちは携帯電話をデコって(デコレーションの略語。ラメやシールを貼りまくっていた)自分仕様に仕上げていた。ギャル文化の特徴として、過剰さという要素がある。やりすぎていることに面白さを見出す。それだけではない。彼女たちにとって携帯電話は、子供の頃に遊んでいた着せかえ人形の代用だったのだ。

ともかく携帯端末メーカーがあゆ仕様の携帯に目をつけたのは大正解だった。当時の女子高生たちが自分に重ねて見ていたであろう浜崎あゆみと携帯端末。その2つをくっつけてしまったのだから。当然、あゆプロデュースの携帯は大ヒットした。

豹柄ケータイの例でも明らかなように、2000年代のギャルを語る上で、最も重要な存在が浜崎あゆみである。どんな時代もアイドルや女優、ミュージシャン、モデルといった“ミューズ”のトップが、女の子たちの“なりたい”という願望を一身に集めてきた。松田聖子広末涼子もそうだった。だが2000年当時の浜崎あゆみほど、誰かの“なりたい”というポジションに強く君臨した存在もいないはず。

 

当時のあゆは「ギャルの教祖」だったが、ツーカーグループのイメージキャラクターをつとめたように「携帯電話普及時代のミューズ」でもあった。といってもツーカーは2008年に休止、今では存在しない携帯電話キャリアだ。最近は5Gケータイ時代への移行が話題だが、ツーカーの当時は、まだ第二世代「2G」だった。彼女の代表曲である「M」は2000年のツーカーのCMソングだった。

さて、スマホ時代になって消えてしまったものの1つがケータイストラップである。ギャルたちは、とにかくたくさんジャラジャラと付けていた。ストラップは本来落下防止のためのツールだが複数付けるのは逆効果だろう(かさばるし邪魔だ)。

実際、当時のギャルのケータイは重量が増していた。これを落とすのはかなり危険な行為のはずだが、ギャルはみなよく転んでいた。まだ厚底ブーツの時代だったからだ。当時のガラケーは、最近のスマホよりも丈夫だったのかもしれない。ディスプレーも小さかったし。

「闇(病み)」と「盛り」が共存したギャル文化

首には小さめのハートのチャーム。手首には「G-SHOCK」の妹ブランド・BABY-Gを付けていた

2000年代のギャル文化は、浜崎あゆみを経由することで90年代のそれから大きく変化した。2000年代のギャルは、ネガティブな部分を隠さないようになった。“病み(闇)”もまたギャルカルチャーの1つの側面となった。

浜崎あゆみは、過去に両親が離婚し、父親不在という自身が育った環境について、インタビューや自作の歌詞で“赤裸々に”語るキャラクターを背負っていた。歌詞も自分で詞を書いていた。

ライターの松谷創一郎は「自らの辛い過去を引き受け、それをストレートに歌詞に書き歌う」(『ギャルと不思議ちゃん論』参照)という彼女のスタイルが、ギャルたちの共感を集めた「要因のひとつ」と指摘する。大スターでありながらも、等身大の自分を見せたことで彼女は教祖と呼ばれるようになったのだ。

小顔効果がある裏ピースは定番ポーズ

2000年には飯島愛の『プラトニック・セックス』が刊行されてベストセラーに。その中で彼女は、14歳の頃から彼氏と同棲を始め、強姦未遂にもあい、のちにディスコに通い始め、売春を繰り返すようになった過去を告白した。飯島愛が10代の頃(80年代後半)は、まだいわゆるギャルの時代ではなかった。

飯島愛は半分ヤンキーで半分ギャルといった半人半獣的存在だった。そんな彼女を支持したのは、明らかに10代のギャルたちだった。自分のことを“赤裸々にさらけだす”ことに寛容、いや積極的に評価するのが、ギャル特有の文化なのだ。

カメラ付きケータイの利用が広がる一方、2000年に発売されたインスタントカメラ「チェキ」の需要も高かった

闇(病み)と同時に“盛り”も2000年代ギャル文化の重要なキーワードである。「盛り」と聞いて思い起こすのは“盛り髪”、つまり髪型を派手に盛り付けること。だけど「盛り」は、単に髪型のことだけを指すものではない。メイクのときでも、プリクラで加工を施すときにも「盛り」「盛る」という表現は使われる。

「盛り」の研究者(専門はメディア環境学)である久保友香は「盛り」について、著書『「盛り」の誕生』の中で「化粧とストロボの効果を用いて、プリクラ写真の上で実際よりも派手になる行動」も“盛り”と呼ばれているとしている。プリクラ上の加工も「盛り」の一部なのだ。

プリクラの登場は、前回も触れたように90年代だが、加工の技術が進化したのは、2000年代になってから。2001年にストロボによりコントラストを高める「美写」シリーズが登場。2002年に登場した『美肌惑星』は、背景(壁紙)を“盛る”機能が充実した。

2000年代のプリ帳。盛りたい精神は落書きにも反映されている

その翌年に登場した『花鳥風月』が“デカ目”機能を初めて搭載された機種とされる。興味深いことだが、この機種では、目は縦方向のみ拡大された。2007年の『美人-プレミアム-』でようやく目が横方向に拡大されたという(前出『「盛り」の誕生』参照)。

ギャルの“盛り”が目をデカくする方向に向かったのも、やはり浜崎あゆみの影響だろうという気がする。あゆのルックスの特徴は、顔における目の占有率である。あの時代、やっぱり皆あゆになりたかったのだ。

ケータイ小説と『小悪魔ageha』ブーム

2002年に発売された香水「エンジェルハート」も当時の人気アイテムだった

ギャルとは闇(病み)である。ギャルの一番病んでいる部分を抽出したかのようなケータイ小説が生まれ、2006年に『恋空』や『赤い糸』などが大ヒットした。どちらも携帯の小説投稿サービス「魔法のiらんど」(1999年〜)から生まれた素人の手による投稿小説である。これらが書籍化されると、たちまち1週間で100万部といった驚異的な売れ行きを記録していく。

どのケータイ小説も“実話”であることが喧伝されたが、内容は似通っていた。

その多くが、10代の少女が主人公となる悲恋もの。仲が良かった彼氏とのケータイメールを通じて深まった恋が、突然の難病(または交通事故)による彼の死で締めくくられる。病み語り(メンタルヘルスにダメージを受けた実体験)、つまりトラウマ語りの要素が出ているものが多い。

ヒロイン(自分)は、すべては終わってしまったというあきらめの境地で語っている。それは浜崎あゆみの歌詞に通じる部分があり、実際、作中で彼女の曲の歌詞が引用されることも多い。ケータイ小説もまた、浜崎あゆみの派生文化に見えてくる。

「闇(病み)」と「盛り」をワンセットにしてパッケージングしたのが、雑誌『小悪魔ageha』だ。『小悪魔ageha』は、2006年に月刊誌として創刊されたキャバクラ嬢向けの雑誌である。ページに収まる情報量が極めて多く、ド派手な誌面構成。読者モデルが多く起用されたが、その多くが地方のキャバクラ嬢たち。とはいえ、水商売に限らず、一般(?)ギャルたちの支持を集めていた。

『小悪魔ageha』の伝説は2009年2月号で打ち立てられた。読者モデルたちが、自分のネガティブな部分について赤裸々に語るという特集内容。表紙にはポエム風の見出しが踊っていた。

病みから闇へ 漆黒でも暗黒でもない 私たちの黒い闇 服を脱いだら 皮膚をはいだら 私たちは決して白くない」。ギャルとは「闇(病み)」と「盛り」が共存した存在だということが、ここで強く印象づけられた。

ギャルとはライフスタイル

2000年代のギャルは、弱さを人にさらけ出すことのできる強い存在になった。まるでハードボイルド映画の主人公だ。いや、たぶんギャルはハードボイルドの一形態なのだ。

そういえば、『小悪魔ageha』の創刊編集長である中條寿子は、こんなことを言っていた。『小悪魔ageha』は、一切「モテ」を意識しない誌面づくりに気を使っていたと。これは、明らかに当時の女性誌の反主流をいくものだった。

エビちゃん(蛯原友里)が表紙だった時代の『CanCam』が当時の王道。つまり「モテ服」「ゆるふわ・スイーツ系」といった女性誌の全盛期に『小悪魔ageha』は、そのオルタナティブとして登場したのだ。ハードボイルドだ。

コギャルの時代から10年以上の歳月が経ち、ギャルは単なる一時のファッションの流行ではなくなっていた。ギャルはスタイルとして定着し、20代を超えてもギャルで居続けることも自由になった。誰も浜崎あゆみにはなれないけど、ギャルにならなれる。「ギャルとは、ライフスタイルである」──そんな呼び方もまったく違和感はない。

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